大田洋子 読まなければ 

 中国新聞の緑地帯という欄に江刺昭子氏の「大田洋子と私」が8日間に渡って載っていた。米情報機関に呼び出されながら、原爆の悲惨さを書くことをやめなかった。

 マスコミが検閲を当然とする中で、悲惨さを伝える事を自らの義務と考えたようである。